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Interview02

中途社員紹介 02

失敗する権利がある。これほど
事業開発に挑める場は他にない。

Profile

海外事業室

大川 誠治

2016年入社

SEIJI OKAWA

Career

2011不動産会社に入社 外国人向け高級物件の賃貸仲介営業に従事

2013同業種へ転職 新事業の起ち上げも経験

2016フージャースホールディングスに入社

―2016年10月にフージャースホールディングスに入社後、海外事業の起ち上げやホテルの事業開発に携わり、現在、自社ホテルの運営を手がける(株)フージャースアコモデーションサービス(HAS)の取締役を務め、経営者として力をふるう大川。彼の不動産業界でのキャリアは、高級賃貸物件の仲介業務からスタートした。

新卒で入社したのは、都心の高級賃貸物件の仲介業務で有名な不動産企業です。大学で建築を専攻し、普通ならまずお目にかかれない高級物件に触れられることに純粋な興味を覚え、また、その企業のお客様は外国人のエグゼクティブの方々が多く、私は母親がアメリカ人で英語が話せたこともあって活躍できる機会が多いのではないかと、考え入社を志望しました。そこでは2年ほど仲介営業に携わったものの、次第に企業のカルチャーが自分に合わないと感じるようになり、同業に転職しました。

―転職先でも高級賃貸物件の仲介営業に従事した大川だが、そこでは営業活動のかたわら、新しい事業を自ら企画して起ち上げることにもチャレンジした。そして、その経験がフージャースへの転職へとつながっていく。

一社目の不動産会社で、企業の経営層のお客様と接する機会が多々あって、そうした方々といろんなコミュニケーションをさせていただくうちに刺激を受けて、私の中に事業経営に対する興味が湧いてきました。そして二社目の企業で仲介営業に携わる一方、日本に赴任する海外のビジネスパーソンをターゲットに、物件の賃貸とレンタル家具サービスをパッケージにして提供する事業を企画しました。社長にプレゼンして承認を得て、パートナーとなる企業の提携や、サービスの告知と集客のためのWebサイトの立ち上げなど事業開発に奮闘しました。事業を創り上げていくのはとても面白かったのですが、ただ、仲介営業でも業績が求められ、自分のリソースをすべて割くというわけにはいきませんでした。こうした窮屈な状況から脱して、事業を創ることに存分にチャレンジできる場を求めて、再び転職を考えるようになったのです。

―「事業を創りたい」という想いをもって転職活動を進めていた大川が出会ったのが、このフージャースだった。それまでフージャースのことは知らなかったというが、マネジメント陣との面談を重ねて、チャレンジできそうな雰囲気を大いに感じた彼は当社への転職を決意する。

当時、フージャースが募集していたのは事業開発を担うポジションで、特にこれから海外事業を本格的に起ち上げていくとのことでした。私の英語力が活かせるポジションだと思いましたし、また、過去に新事業を一から考えて組み上げた経験もきっと武器になるだろう。そう考えて入社を志望し、幸運にも採用になってフージャースに参画することになりました。

―入社後、大川が配属されたのはフージャースホールディングスの事業企画室。ここで彼は海外事業の起ち上げをはじめ、民泊事業への参入の検討、さらに当時一棟だけ所有していた仙台のビジネスホテルの運営のマネジメントなど、複数のタスクを同時並行で進めていくことになった。

すべてが私にとって未知のチャレンジで、入社してしばらくは必死で勉強する毎日でした。なかでも海外事業のウエイトが大きくなり、2年目からはアメリカでの案件を専任で担当することに。オレゴン州のポートランドで現地デベロッパーとJVを組んでマンション開発を進める計画が立てられ、私がその実行をメインで担うことになりました。当時は頻繁にポートランドに出張し、現地で人脈を広げつつパートナー企業を発掘。開発経験などまったくないなか、手探りで事業計画を立て、パートナー企業と契約を締結し、JVを設立しました。本当に大変でしたが、常に新たな知識が吸収されて自分が成長している実感がありましたし、何もなかったところから事業が立ち上がっていくダイナミズムにも興奮を覚えながら、懸命に仕事に取り組んでいました。

―こうしてアメリカでの開発事業の基盤を築いたところで、大川に転機が訪れる。当時、フージャースは東京・秋葉原で用地の取得に成功し、ツーリスト向けのホテルを開発する企画が社内で持ち上がり、かつて事業企画室で仙台のビジネスホテルの運営に関わっていた経験を買われ、大川がその事業化検討を手がけることになった。

企画開発部門のメンバーと二人でいろんなスタディを実施して検討し、それをもとに事業化が決定されました。そしてこのホテルは運営も自社でやることになり、すでに所有している仙台のホテルや、今後買収を予定しているホテルも合わせて一体的にホテル運営を行うグループ会社を新たに設立しました。それがフージャースアコモデーションサービス(HAS)であり、私はそちらの経営に身を置くことになったのです。

―入社当初は、まさかホテルの運営事業に関わるとは思ってもみなかったという大川。しかし、このチャンスを彼は大いに歓迎した。

アメリカでの開発事業の起ち上げは、どちらかといえば投資の要素が大きいものでした。しかし今回担うことになったホテル運営事業の起ち上げは、リアルな事業を一から創り上げ、新しい仕組みを生み出していくことです。こんな経験はなかなか得られるものでありませんし、私にとっては願ってもないチャンスでした。

―こうして大川は、フージャースが所有するホテルの運営事業の起ち上げに挑んだものの、不運にもコロナ禍に襲われ、いきなり経営者として困難な局面を迎えることになる。

私自身は、今回のコロナ禍をHASの経営においてはポジティブに捉えています。厳しい極限の状況に置かれることで、それを突破するための戦略を否応なく考えなければならなくなりました。より業務を効率化して筋肉質な組織にするために、たとえばこれまで二人で行っていた作業を一人で担うための方法に知恵を絞ったり、あるいはホテル運営に必要な何十項目の作業を一つ一つ見直して、よりコストを抑える方法を考えるなど、こうした取り組みを重ねていけば将来、需要が戻った時に高収益の体質になっているはずだと確信しています。フージャースは「向きあう」「深める」という姿勢を大切にしていて、社内でもよくこの言葉が飛び交っているのですが、私も常に意識しています。お客様と徹底的に向き合い、何を求めているのかを深く掘り下げて、やるべきことを考え抜き、それを圧倒的な当事者意識、すなわちあらゆることを自分の責任と捉えて、細かな点まで疎かにせず実行していく。こうしたスタンスで、ホテル運営事業を発展させていきたいと考えています。

―いまホテル運営会社の指揮を執る大川だが、今後のキャリアについてはどう考えているのか。

HASで新しい事業を一から組み立てた経験を活かし、海外で新たなチャレンジをしてみたいです。現状、アメリカではまだ投資段階ですが、そこからさらにフェーズを進めて、自分たちが主体となる不動産事業を創っていきたいです。不動産事業は、その土地の風土や文化に密接に関わるものなので、日本で培った知恵はアメリカでそのまま活かすことはできないですが、フージャースのアプローチは場所が変わっても通用するものだと思っています。日本の常識にとらわれずに、顧客目線でアメリカのマーケットに向き合い、深く理解することで、まだ実現されていない「欲しかった暮らし」を見つけ出す。こうしてアメリカでの事業を成功させ、そこから得られた知見で、日本の事業にも新たな刺激をもたらせればと思っています。

―最後に、フージャースでキャリアを積む醍醐味について大川に尋ねてみた。

フージャースは失敗をする権利を与えてくれる会社です。大手は失敗しないように手厚くフォローしますが、そうした環境では創意工夫が生まれず、実力として身にならないことも多いです。当社は、しっかり任せてくれる会社だと思っています。私が担当したアメリカの開発案件はアメリカで初めての事業ということもあり、スタート直後から驚きの連続でした。また、ホテル事業では、お客様のニーズを正確に捉えられず、自分のビジョンでレストランのリノベーションを企画実行し、想定したターゲットにまったく届かず利用者の減少を招いてしまったこともあります。こうした失敗を犯しても、また新たなチャレンジの機会を与えてくれるのがフージャース。少ないアセットで事業を起こせる業界ならともかく、不動産業界でここまで大胆にチャレンジさせてくれる会社は珍しいと思います。そして、チャレンジの機会を若いうちから与えてくれる。私も30代前半でHASの取締役に就きましたが、やはり役員になると目線がおのずと上がり、責任感も増します。まさに経営とは何かをリアルに学びながら実践しているところです。20代30代でこうした経験ができる企業というのは、おそらく他にはそうないと思いますね。

Off Time

中学の頃からバスケットボールをしていて、いまでも月に一度は公園で仲間と試合をやっています。また、コロナ禍をきっかけに登山やキャンプなどのアウトドアを始め、今年は富士山に登頂しました。

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