Interview05
中途社員紹介 05
「0」を「1」にする仕事。
Profile
不動産開発事業
江口 連
2011年入社
REN EGUCHI
Career
2000不動産開発事業会社入社 分譲営業・事業企画・用地仕入れ担当
2009投資会社入社 財務・投資開発部門に所属
2011フージャース入社
―2011年3月に入社した江口は、現在フージャースコーポレーション 再開発プロジェクト室に所属。室長代理として全国を飛び回り多くの再開発プロジェクトを手掛けている。 江口の前職は、分譲マンションのデベロッパー。グループ社員500名以上を擁する50年以上続いた一部上場企業であった。新卒で入社したのが2000年4月。90年代初頭のバブル崩壊を何とか乗り越え、やっと再建が始まろうかという時期であった。配属されたのは営業部門。運にも恵まれ、江口は入社3ヶ月で実績をあげることができた。そして入社3ヶ月目の新入社員に、新規プロジェクトチームへの異動が告げられた。
対応させて頂いたお客様方に恵まれて好成績をあげることができ、新規立上げの部門へ若手枠ということで抜擢いただきました。他社の営業動向や仕入予定物件の適正販売価格提案等の市場調査を行い、第三者的な立場から経営報告するという業務を行っていました。不動産営業ではなく開発がやりたいと思い選んだ会社だったので、その夢に一歩近づいた訳ですが、正直言うと、もう少し営業を経験したかったかな。営業の現場で、もっと得られるものがあったんじゃないかと。
―市場調査業務に携わり1年半。業務の過程で仕入部門と頻繁に連携する中で、漠然としていた江口の夢が、段々と形になっていった。
調査業務の過程では、どうしても仕入部門との接触が多く、用地の取得業務にますます興味が沸いていきました。当時は、本当に子供じみているんですが、大きな開発事業に携わりたいという理由で入社したんです。開発事業とは0を1にする仕事だと感じ始めました。用地の取得および開発業務は事業の源泉であり大きな魅力を感じていました。
―入社2年目で、江口は開発業務に関わることになる。仕入れた人間が最後までプロジェクトの責任者として携わる一貫体制だった。事業責任者という立場で、事業収支や工程の管理、各部門間の調整が主な役割だった。
非常にいい扱いを受けていました。50年続く会社のわりには、比較的自由に一定の権限を持たせていただきました。基本的に全部門と交わる立場だったのですが、仕入れた用地は自分が0から1にしている、という自負を持って、会社の中では臆することなく他部門ともやりとりはできていたかと。たまたまですが、24歳という若い時期から31歳で退職するまで各開発事業の責任者としてやらせてもらえたので、多くの件数を経験することができました。規模も歴史もある会社でしたので、組織の論理といったものも、そこである程度知ることが出来たかと思っています。
―しかし、50年の歴史を持つ企業にも、リーマンショックの魔の手が伸びてきた。分譲マンション販売の停滞。建築部門の請負工事代金の回収にも影響が出始めた。
破綻した他社さんと比べても、あまり派手なことをしてなかったはずなんですが、取引先の破綻に連鎖した感じもありました。改めて取り扱う仕事の大きさや責任を強く実感しました。
―2009年、会社は倒産。60年の歴史に幕が閉じられた。当然、江口も退職。再就職のために活動を始める。しかし、リーマンショックの影響でデベロッパーの求人はほぼ無い状況であった。その中で江口が選んだのは不動産投資会社だった。
リーマンショックを上手く切り抜けて、逆に収益を上げている力のある投資会社でした。収益物件を買って保有しバリューアップした後に売却する、という事業モデルです。今までは住宅開発が専門でしたが、不動産投資という分野へ挑戦したいという思いで選びました。
―江口は新天地で収益物件の購入や売却に加えて財務も担当することになった。収益物件への投資を行う中で、取得物件のプロジェクトファイナンスを引き出すべく金融機関と折衝を行う仕事だ。
財務関係の知識はもちろんですが、不動産と金融は密接な関わりがあるということを肌で感じることができました。不況下における金融機関がどういう目線で不動産を取り扱うのか等、金融機関ごとに違った目線がありました。そういったことをあの時期に経験できたというのは、今でも役に立っていますね。
―だんだんと財務の仕事も楽しくなってきたある日、転職エージェントから連絡が入った。「何社かデベロッパーが興味を示しているので、会ってみませんか?」と。その一社がフージャースだった。
名前は知っている程度の会社でした。リーマンショックでダメージを受けている独立系のデベが、開発の人間を新規採用していこうという姿勢はすごいなと思い興味が湧きました。面接の中でも、これから前向きにやっていける状況になっていることが伝わりましたし、以前勤めていた会社と規模感や事業領域も近いと感じ、仕事をしている姿がイメージしやすかった。採用の過程で、自分が求められているということも感じることができた、その2点で当社へ決めました。
―2011年3月。江口は課長代理として、再びマンション開発、用地の取得に関わることになった。しかし、思うような結果を出せずに半年後、横浜支店に転勤。環境が変わったことが幸いしたのか、江口はやっと自分の納得できる仕入れをすることができた。
入社当初は、会社の出方を伺っていたんですかね。上がどう判断するかを考え過ぎてしまった。初めての仕入案件では、事業化したいという想いが自然と出ていたんだと思います。それが会社に伝わり決裁を得られたんだと思います。会社が求めているのは、会社の判断を仰ぐ人間ではなく、やりたいことを自ら発信していく人間だということに気が付いたのも、その頃でした。それからは自分のスタイルで取り組むようになりました。それを一定の範囲で許容してくれる環境や雰囲気があることに感謝しています。
―ちょうどその頃、フージャースで再開発事業への参画を検討し始めていた。フージャース入社から1年。江口も再開発プロジェクトに参加することになる。そして、再開発に関する調査を進める中、具体的な案件が持ち込まれてきたのだ。
会社としても法定再開発の知識が乏しい中で、一生懸命勉強しながら動き回っていました。多くの再開発コンサルティング会社に営業をしたり、再開発組合にプレゼンをしたり。最初の再開発事業への関わりは宇都宮の案件でした。30階建て200戸超の共同住宅と、低層部には商業施設が入るという施設計画でした。最終的には大手不動産会社が幹事企業となる共同事業となりましたが、事業性に加え、再開発事業の学びの機会にもなる、そういう意義で取り組んでいましたね。
―江口が、2012年から携わってきた再開発事業は12件にものぼる。フージャースとしての再開発事業に対するスタンスを聞いてみた。
会社のスローガンでもある「欲しかった暮らしを、しよう」という理念をもとに再開発事業に取り組んでいます。その地区の要望に合った開発を行うことが第一義にあります。全国の多くの都市では中心市街地の活性化が大きな課題となっており、そういった地域において住宅や商業施設の開発といったハード整備だけではなく、将来に亘って賑わいを生める仕組みをつくる等のソフト面も含め、まちづくりに関わっていきたいと考えています。DESIGN賞を取った「どちらもドア」は、私も関わっていたのですが、あれ以上のモノ作りをしていきたいと思っています。
―函館、盛岡、石巻、山形、塩竃、いわき、宇都宮、甲府……。これから13地区目の再開発事業への参画も始まろうとしている。江口が手がける再開発への想いを聞いてみた。
再開発事業それぞれにドラマがあります。法定再開発事業というのは、権利者の方々の想いやまちづくりを行う行政の方針等を調整して進めていくものなんです。多くの関係者の想いや利害をうまく調整していくことが出来なければ成功しません。それぞれの地区にそれぞれの人の想いがある。結局調わず事業に至らない地区もありますので、多くの関係者と共に事業化に至ったときの喜びは大きなものとなります。 夢というと大げさですが、社会に出て間もないときから再開発事業に携わりたいと思っていました。機会に恵まれ、社内外の多くの人に支えられながらも現実となって働けている今は、思うように行かないこともたくさんありますが、幸せだなと思っています。