暮らしの灯りをともす、
まちなか再生と震災復興。
私たちフージャースは、東日本大震災で被災した被災地の再生・復興に向け、各地で再開発事業を行ってきました。住宅の提供に留まらず、商業や防災機能の一体的な整備によって、平時は地域をつなぐ憩いの場所として、有事は災害時の避難場所地として利用できるようにすることで、安心安全な住まいを提供しています。石巻市では、これまでに3棟を開発してきました。
今回は、2015年12月に竣工した石巻エリア最初の物件「石巻テラス」のプロジェクトストーリーです。
石巻での再開発事業の決断
2011年3月11日午後2時46分ごろ、東日本大震災が起こりました。その惨状をテレビで見たフージャース代表の廣岡は、「まずはこの現状を自分の目で確かめないといけない」と3月下旬にレンタカーを借りて被災地を訪れました。凄惨な現場を目の前に、「開発を生業にしている以上、ここで何かをしないわけにはいかない」という使命感が生まれたと言います。
翌年4月には、仙台に東北支店を設立。そして2013年のある日、廣岡はある会合で都市計画家の西郷真理子さんの石巻再開発プレゼンテーションに立ち合います。それを聞く中で、被災地を周った際に見た石巻の壊滅的な状態を鮮明に思い出し、再開発への思いが強くなります。しかし石巻という場所は、戸建て文化でマンションの供給実績も少ない場所です。また遠隔地のため、開発の効率も悪い。
「収益性での判断はできないが、津波で流されて何も無くなった場所に建物を建てて、いざというときに避難できる場所を作ることは意義があるはず」。こうして2013年1月、フージャースは「石巻市中央三丁目1番地区第一種市街地再開発事業」参画の正式な意思表明を出し、
石巻の震災復興・再開発が始まります。これは、私たちにとって初めての震災復興・再開発となりました。
水産都市 石巻
石巻は、江戸時代から北上川を中心に遠くは盛岡、そして各地から米が集まり、そこから海運を使って江戸に米を運ぶ重要な拠点として栄えてきました。
しかし時代を経て、石巻の中心街である「まちなか」は、震災以前からいわゆるシャッター通りが目立つようになり、地域の空洞化が叫ばれるようになっていました。
そんな折、東北地方を巨大地震が襲います。街の多くを押し流した津波は、計り知れないほどのダメージを石巻にもたらしました。
震災から3日後、その日から毎日まちなかの商店街や住民らによる「朝会」が行われ、支援物資や復旧状況についての情報共有が図られました。その後、有志のメンバーらが集まり復興計画案を作成。これが発端となり、まちなかの復興と活性化に向けた「まちなか復興まちづくり」が始まります。その中でも先行して進められたのがマンション建設プロジェクト「石巻プロジェクト」でした。
まちなかの3エリアのうち、第一種市街地再開発として最初にスタートしたのが「中央3丁目地区」の複合分譲マンション「石巻テラス」でした。
道の先を作る
2013年1月、フージャースとして「石巻市中央三丁目1番地区第一種市街地再開発事業」参画の正式な意思表明を出し、「石巻テラス」の分譲と管理を私たちが担当することになりました。
実際に事業を目の前にすると、津波被害の街の再生ができるのだろうか?戸建てが根付いている街でマンションは売れるのだろうか?避難した人々は戻ってきてくれるのだろうか?
と見えない不安が押し寄せてきたのも事実です。
街は壊滅していて平時のマーケット分析は意味をなしません。けれど、「被災して住宅のない人の生活再建需要があるはず」、手掛かりはその一点だけでした。事業成功の保証はありませんでしたが、住宅を供給して一日でも早く人々に戻ってもらうこと、そして街の再生に貢献することが私たちの使命と考えて取り組みを進めました。
この文章を読むと、あっという間に終わったように見えますが、このプロジェクトは事業担当に限らず、フージャースの全社員がこの事業に注目し、再開発組合の皆さん、都市計画家の西郷真理子さん、石巻市の職員の皆さんと約2年の時間をかけたプロジェクトです。後にも先にも引けない。今はない道の、その先を作る。それを信じて進むしかないと思い続けて、全員でここまでやってきました。
安心と安全
「生まれ育ったこの地で暮らしたいが、同じような津波被害に遭うことは恐ろしい」。
建物を考える上で、一番はその不安を解消し、地震や津波に負けない強い建物にしなければなりません。それをどう事業化するか、安心・安全性と事業を両立させることが、ものづくりにおける一番の課題でした。
協議に協議を重ね、津波への対策として、地上約6m の位置に厚さ約50cm
の人工地盤を設け、下には店舗や駐車場、人工地盤より上層に住居エリアとして、万が一の津波に襲われても住まいの安全を確保できるようにしました。
「一刻も早く住宅を提供したい」と思っていたものの、震災後の職人不足で工事の遅延リスクがありました。そこで、PCa工法(プレキャスト・プレストレストコンクリート工法)という、工場で生産して、現場で組み立てるシステムを採用することで、品質の均一化と安全性を確保して、なるべく短い時間で施工ができることを目指しました。通常の住宅ではコストが上がるためなかなか使わない方法ですが、品質や耐震性と納期を優先して、今回はこの方法を採用しました。
また、「石巻テラス」に新たにお住まいになる方達のコミュニティを意識して、地上3階の共用部には中庭と集会場を計画。こうして石巻テラスは、2015年12月に無事に竣工したのです。
暮らしの灯り
無事に完成した「石巻テラス」ですが、その販売の過程にも苦労がありました。モデルルームをオープンするも、最初の1ヶ月が経過すると、自ら足を運んで来場するお客様はほとんどいなくなりました。戸建て文化の街ではマンションに馴染みがなかったこともあり、様子を見ている人、今更家を買うこと自体のイメージが沸かず、買えないと思っている人もいました。
「ただ待っているだけではなく情報を届けに行く、企業認知を上げて来場の敷居を下げる等、やれることは全部やろう」と、商工会の会合に参加したり、行きつけのお店で人を紹介してもらったりもしました。
またある時、仮設住宅に暮らしている方が来場されたことがありました。仮設住宅から出られず辛く、楽しいこともない。何かイベントを開催してくれないか?と。直接的な顧客になるかは分かりませんでしたが、できることは全部やろうと決めたからには、あとは動くだけです。
現地で芋煮会を開いたり、集会場の周りに花を植える植樹会をおこなったりもしました。その際、仮設住宅のプランターにフージャースのロゴを付け、企業認知に繋げていきました。
こうしてゆっくりとですが、フージャースの名前は石巻の皆さんに知れ渡っていき、徐々に「復興支援企業」の立ち位置へと変化し、街の方達から応援をしてもらえるようになっていきました。
「石巻テラス」を振返って、石巻の復興に最も貢献できたと感じた瞬間は、引渡しした夜、マンションの部屋に灯りがともっていたときです。復興から5年弱の時間が経っていたものの、人口が減り、復興も半ばの石巻の夜は、まだまだ暗いものでした。その中に地上6階のマンションが建ち、灯りがともった瞬間に、本当に貢献できたと感じて胸が熱くなるものがありました。
私たちがこの事業を通じて感じた使命感は、この次の石巻の物件へと引き継がれ、現在までに3棟を開発しています。安全・安心と快適・便利が充実した街づくりはもちろんのこと、水産都市として栄えた石巻の姿を蘇えさせることができるよう、引き続き見守っていきたいと思います。